2024年パリオリンピックで日本中を熱狂させた女子レスリング76キロ級金メダリスト・鏡優翔さん。日本女子最重量級として史上初の快挙を成し遂げた鏡優翔さんですが、実は試合中に眼窩底骨折という大けがを負いながらも金メダルを獲得していたことをご存知でしょうか。「ひまわりプリンセス」の愛称で親しまれ、阪神タイガースの大ファンという一面も持つ鏡優翔さん。さらに2024年11月には株式会社KAWAIIを設立し、24歳の若さで代表取締役社長に就任するという新たな挑戦も始めています。
とはいえ、鏡優翔さんの経歴や学歴について詳しく知らない方も多いのではないでしょうか。小学生時代から全国大会で4連覇を達成し、JOCエリートアカデミーで才能を磨き、帝京高校でインターハイ3連覇、そして東洋大学を経てパリ五輪金メダリストへ。輝かしい戦績の裏には、大胸筋断裂からの復活や、家族と離れてエリート教育を受けた日々など、数々のドラマがありました。
本記事では、鏡優翔さんのプロフィールから学歴、経歴、そしてwikiには載っていない素顔や魅力まで徹底解説していきます。最後までお読みいただければ、鏡優翔さんの人間的な魅力と、金メダルへの道のりがより深く理解できるはずです。
鏡優翔のプロフィールと基本情報【wiki風まとめ】
鏡優翔さんは2001年9月14日生まれ、山形県山形市出身の女子レスリング選手です。2024年パリオリンピック女子76キロ級で金メダルを獲得し、日本の女子最重量級として史上初の快挙を成し遂げました。身長は167センチメートル、現在はサントリービバレッジソリューション株式会社に所属しています。試合での圧倒的なスピードとタックル力は、多くのファンを魅了してやみません。
さらに注目すべきは、2024年11月に株式会社KAWAIIを設立し、代表取締役社長に就任したことでしょう。パリオリンピックでの金メダル獲得後、子どもたちや高齢者との触れ合いを通じて「もっと夢や生きがいを感じてもらえるきっかけを作りたい」という想いが芽生えたといいます。アスリートとしての活動と並行しながら、社会貢献にも力を注ぐ姿勢が印象的です。実のところ、ある高齢者の方に金メダルを見せた際「人生で初めてだ」と言われたことが、大きなきっかけになったのだとか。
幼少期は山形で生まれたものの、小学校入学と同時に家族で栃木県宇都宮市へ転居しました。レスリング経験者である父親や兄の影響で、小学生時代からレスリングの道へ進みます。実はラグビーにも取り組んでいた時期があり、多様なスポーツ経験が現在の強さを支えているのです。
トレードマークはひまわり。試合会場ではファンがひまわりを手に応援する光景が見られ、鏡優翔さん自身も「ひまわりプリンセス」として親しまれています。阪神タイガースの大ファンで、推しは木浪聖也選手です。栃木県と山形県から県民栄誉賞、さらに紫綬褒章も受章し、その輝かしい功績は広く称えられています。
鏡優翔の学歴|小学校から大学まで完全網羅
鏡優翔さんの学歴は、栃木県宇都宮市立雀宮南小学校からスタートします。小学3年から6年にかけて全国大会で4連覇という圧倒的な成績を残しました。下野サンダーキッズに所属しながら、宇都宮ラグビースクールでも汗を流していた時期があります。レスリング一筋ではなく、幼少期から多彩な運動経験を積んでいたのです。ふと振り返れば、このバランスの取れた身体能力の養成が、後の国際舞台での活躍の土台となっていきます。
中学時代は宇都宮市立雀宮中学校に在籍し、1年次に全国中学生選手権57キロ級で準優勝を果たしました。とはいえ、真の転機は中学3年で訪れます。将来のオリンピック選手を育成するJOCエリートアカデミーに入校し、東京の北区立稲付中学校へ転校したのです。家族と離れ、厳しい環境下で競技に打ち込む日々がスタートしました。全国中学選抜選手権では見事優勝を果たし、その才能をさらに開花させていきます。
高校は東京の帝京高等学校へ進学し、インターハイで見事3連覇を達成します。世界カデット選手権でも2連覇を重ね、国際舞台での存在感を着実に高めていきました。2018年のブエノスアイレスユースオリンピックでは日本選手団の旗手という大役も務めています。高校2年時には全日本選手権72キロ級でシニアの選手を破って優勝し、若くして日本トップクラスの実力を証明しました。それでも鏡優翔さんは、さらなる高みを目指して努力を続けていきます。
大学は東洋大学社会学部メディアコミュニケーション学科に入学します。学業とレスリングを両立させながら、全日本選手権での優勝や世界選手権での金メダル獲得など、輝かしい戦績を積み重ねました。東洋大学での4年間が、パリオリンピック金メダリストへの道を切り開いたといえるでしょう。2024年3月に卒業後、サントリーへ入社し、母校の東洋大学を練習拠点としながら競技を続けています。学生時代に培った知識と経験が、現在の株式会社KAWAII経営にも活かされているのです。
鏡優翔の経歴|レスリング人生と主な戦績
鏡優翔さんのレスリング人生は、小学生時代の圧倒的な強さから始まりました。下野サンダーキッズに所属し、全国大会で小学3年から6年まで4連覇という偉業を達成します。ふと振り返れば、幼い頃から培われた勝負強さが、後の国際舞台での活躍につながっているのです。小学生時代にはラグビーにも取り組んでおり、多様な運動経験がバランスの取れた身体能力を育んでいきました。
中学時代にJOCエリートアカデミーへ入校してからは、本格的な強化が始まります。高校時代には階級を上げながらも勝ち続け、2017年から2019年までインターハイ3連覇を達成しました。世界カデット選手権でも2連覇を果たし、高校2年時には全日本選手権72キロ級でシニアの選手を破って優勝という快挙も記録しています。2019年の世界ジュニア選手権では72キロ級で金メダルを獲得し、若き日本のエースとして名を馳せました。それでも鏡優翔さんは、常に謙虚な姿勢を崩さず、日々のトレーニングに励み続けたのです。
大学時代に本格的に76キロ級へ転向すると、2020年と2021年の全日本選手権で連覇を果たします。とはいえ、順風満帆な道のりではありませんでした。2022年末には大胸筋断裂という大けがに見舞われ、長期のリハビリを余儀なくされます。それでも諦めることなく復帰を果たし、2022年世界選手権では銅メダル、2023年世界選手権では見事金メダルを獲得しました。準々決勝で元世界王者のアデライン・グレイを破る勝負強さを見せ、決勝では8対0で圧勝します。女子最重量級での世界選手権優勝は、浜口京子さん以来20年ぶりという歴史的快挙でした。
2024年パリオリンピックでは、決勝でアメリカ代表のケネディ・ブレーズを3対1で破り、日本女子最重量級初となる金メダルを獲得しました。実のところ、1回戦で相手選手の頭部が顔面に激突するアクシデントに見舞われ、「右目の左右が見えにくくなっていた」と後日SNSで明かしています。さらに8月23日の診断で「目折れてました(眼窩底骨折)」と判明したものの、試合中は骨折と知らずに戦い抜いていたのです。「そりゃ痛かったわけだ」というコメントとともに、「目の骨が折れたのに頑張った自分をしばらく褒めたいと思います」と振り返りました。痛みに耐えて金メダルへたどり着いた強靭な精神力は、多くの人々を感動させています。
鏡優翔の意外な素顔と魅力!鏡優翔選手は強さだけじゃない!
鏡優翔さんの魅力は、マット上での強さだけではありません。SNSでは「ひまわりプリンセス」として、明るく屈託のない笑顔で多くのファンを魅了しています。Instagramには約1万9千人のフォロワーがおり、試合以外の日常やファッション、食事の様子なども発信中です。ネイルやヘアスタイルにもこだわり、おしゃれを楽しむことで自分のモチベーションを高めているといいます。「頑張れと言われるより、かわいいと言われる方が力になる」という言葉は、2025年のスポーツ言語大賞にも選ばれました。
阪神タイガースの熱烈なファンという一面も、鏡優翔さんの人間味あふれる魅力でしょう。推しの木浪聖也選手への愛情は深く、2024年9月3日には甲子園球場で始球式を務めた際、サプライズで打席に立った木浪選手の姿に大興奮する様子がニュースでも話題となりました。「マウンドに立ってから知ったので、緊張が上がってきちゃってドキドキした」と振り返りながらも、見事ノーバウンドで投球を成功させています。同じ山形県出身の中野拓夢選手とも撮影し、「山形ツーショット嬉しい」とSNSで喜びを表現しました。
さらに注目すべきは、若くして起業家としての顔を持つことです。2024年11月に株式会社KAWAIIを設立し、代表取締役社長に就任しました。パリオリンピック後、子どもや高齢者との触れ合いの中で「人生初の体験」を提供できる喜びを感じ、社会貢献への想いが強まったといいます。2026年3月には栃木県宇都宮市でキッズレスリング大会の開催を予定しており、子どもたちの挑戦を後押しする活動を展開中です。地域の高齢者にも参加していただける企画にしたいという想いも込められています。
パリオリンピックの1回戦で相手の頭部が顔面に激突し、眼窩底骨折という大けがを負いながらも、試合中は骨折と知らずに戦い抜いた精神力。それでも試合後にはSNSで正直に状況を報告し、多くの人々から心配と称賛の声が寄せられました。強さと優しさ、そして等身大の人間らしさを併せ持つ鏡優翔さんだからこそ、多くのファンが応援し続けているのです。競技と経営の二刀流という新たな挑戦にも、「簡単な挑戦ではないからこそ、頑張る価値がある」と前向きに取り組んでいます。2024年12月の全日本選手権でパリ五輪後の復帰戦に臨む予定で、「結果が全てのこの世界で必ずこの選択を正解にしていきます」と力強く宣言しています。
まとめ
鏡優翔さんの経歴と学歴、そして素顔について詳しくご紹介してきました。山形県山形市で生まれ、栃木県宇都宮市で育ち、小学3年から6年まで全国大会4連覇という輝かしいスタートを切った鏡優翔さん。JOCエリートアカデミーで才能を磨き、帝京高校でインターハイ3連覇、東洋大学を経て2024年パリオリンピックで日本女子最重量級初の金メダルを獲得するまでの道のりは、決して平坦なものではありませんでした。
大胸筋断裂からの復活、眼窩底骨折を抱えたままの金メダル獲得など、数々の試練を乗り越えてきた強靭な精神力。それでも常に笑顔を絶やさず、「ひまわりプリンセス」として多くの人々に勇気と感動を与え続けています。阪神タイガースの大ファンで推しの木浪聖也選手への愛情を隠さず、おしゃれを楽しみながらSNSで日常を発信する姿は、等身大の24歳そのものです。
さらに2024年11月には株式会社KAWAIIを設立し、代表取締役社長として社会貢献活動にも本格的に取り組み始めました。2026年3月には栃木県宇都宮市でキッズレスリング大会を開催予定で、子どもたちの挑戦を後押しする活動を展開していきます。アスリートとしての活躍と並行して、経営者としての新たな挑戦にも果敢に取り組む姿勢は、多くの人々に希望を与えているのではないでしょうか。
「頑張れと言われるより、かわいいと言われる方が力になる」という言葉が示すように、鏡優翔さんは新しい女性アスリート像を体現しています。強さと優しさ、努力と笑顔、競技と社会貢献。すべてを両立させながら、自分らしく輝き続ける鏡優翔さんの今後の活躍から目が離せません。2024年12月の全日本選手権での復帰戦、そして2026年3月のキッズレスリング大会と、鏡優翔さんの挑戦はこれからも続いていきます。ひまわりのように明るく、力強く咲き続ける鏡優翔さんを、これからも応援していきましょう。



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